2018年3月9日金曜日

もうすぐアンデルシェフスキ ♪

もうすぐピョートル・アンデルシェフスキのバッハが生で聴ける。といってもあと1週間ほどあるのだが、なにせ1年前に購入したチケット(↓)なので、1週間というのは「すぐ」なのだ…(^^)♪

《衝動買い?2018年のアンデルシェフスキ ♪》


写真が気に入ったので公式サイト(写真にリンク)からお借りした


実は、招聘元の KAJIMOTO に宣伝記事(↓)が出ていた。

✏️アンデルシェフスキ、バッハを弾く@すみだトリフォニーホール

その中で、今年初めに発売された『モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番、第27番』のプロモーション映像(↓)が紹介されていた。「弾き振り」でも話題にもなったが、本人によると指揮をしているのではなく、室内楽のような感じでピアノもその中の楽器の一つということらしい。カジュアルな服装での録音風景?が面白い。

 Piotr Anderszewski records Mozart Piano Concertos 25 & 27 K503, K595


『モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番、第27番』




それはともかく、この中でアンデルシェフスキがなかなかいいことを言っていた。

"Those concertos are really operas. There's no story or words behind it. I'm talking about the musical phrases and textures. The narrative of the piece."

(これらのコンチェルトはまるでオペラなんです。背後に物語も言葉もありませんが…。私が言っているのは音楽のフレーズとかテクスチャーのこと。それがこの曲の「語り」になっているんです。)

音楽自体が「語り」であり「物語」である、と言っているように聞こえるのだが、それがとても私の「腑に落ちる」感じがした。

音楽で何かを表現するというよりも、フレーズやテクスチャーそのもので音楽を紡いでいく。その音楽が魅力的なものであればそれでよい。バッハやモーツァルトの音楽では、とくにそういった傾向が強いのかも知れない。

でも、個人的にはロマン派以降の「音楽で人間や物語を表現する」的な音楽についても、結局のところ「音楽自体」の魅力が大事なことは変わらないような気もする。


これと対照的だなぁと思ったのが、同じ記事の中で紹介されていたアンデルシェフスキの『バッハ:イギリス組曲集~第1,3,5番』(↓2014年リリース)に対するレビュー文。



例えば、

絶妙な強弱、ヴォイシング、アーティキュレーション、そして思慮深い装飾音がプレリュードに生気を吹き込む

…などと書いてあるのだが、評論家として言葉で伝えようとするとこうなることは理解できても、これを読んでもあまり伝わることはないなぁ、というのも正直な感想。


ところで、この話は《ピアノに関する「モヤモヤ」は消えたのか?》に書いたような、「いい音楽・いい演奏」の判断は、結局「自分の感受性を信じるしかない」ということと似ているような気もする。

「いい音楽とは何か」は所詮言葉では説明しきれないし、直感的に「いい!」と思う演奏や「いつまでも聴いていたい」と思う演奏はいい演奏…ということでしかないのではないか…。

それは音楽そのもののフレーズやテクスチャーに魅力を感じ、その素晴らしさに魅入られている…ということだと思うのだが…。


…と、ややくどくなってきたのでこの辺で切り上げることにしよう…(^^;)。

何はともあれ、1週間後にアンデルシェフスキはどんな音楽を聴かせてくれるのか…本当に楽しみである ♪


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